第2話 作戦会議
帰宅
そのマンションにはオートロックがあり、しげちゃんが番号を押して「ただいま」と言った。「おかえりなさい、しげちゃん」と迎える声はとても穏やかで優しそうだった。 上から2番目の階で止まったエレベーターを降りて右に曲がり、5番目のドアを開くと、先ほどの優しそうな声の主が「えっ?!」と目をまんまるにした。「うちの子がお友達を…。」と驚いたそのままの目は潤んでいた。お昼には出前のお寿司を用意してくれた。
三人がお腹いっぱい食べても、まだお寿司は残っていた。 「全部食べたいのにもうこれ以上は無理そうだ。夜もこの続き食べたいくらいだよ。」直哉が満足そうに冗談を言うと「おうち持って帰る?リサちゃんも。」としげちゃんのお母さんは息子そっくりの目を細めた。
作戦会議
昼食が終わると、しげちゃんの部屋で作戦会議を始めた。その部屋には地球儀があったり、宇宙船の模型があったり。学習机の棚には各教科の名前が入った参考書や問題集がびっしり並んでいたが、敷いてあるキャラクターもののマットを見た直哉は「オレと同じの使ってるやつ見たのは初めてだよ!センスいいな!」と興奮気味だった。 子供部屋には珍しい大きさの本棚には、小さな文庫本から大きな図鑑までたくさんの本が並んでいて、リサは「ここだけ図書館みたいだね」と見上げた。 「そうかな」としげちゃんは笑みを浮かべながら、その本棚から本を取り出した。 表紙は電車の写真だった。後ろの方のページを開いて何かの文字を見つけると、ぶつぶつと数字をつぶやきながらページを次々とめくった。どうやらその数字は索引でわかったページ数のようだ。
「直哉、駅の名前聞き間違えてない?一文字違いの『玉川口』っていう駅があるみたいなんだけど。」 「そうかもしれない。ミチババア、すごい訛ってるじゃん。聞き取りにくくてさ。たぶんその駅だよ!」 「ミチババアの言ってたことは本当だったんだね。それで、その駅ってどこにあるの?」そう聞いたのはリサだったが、もはや直哉も含めた全員が疑いのほうに傾いてしまっていたので、その駅が実在しているというだけで前のめりになっていた。 「えーっと…そんなに遠いの!?」しげちゃんは驚いて少し後ろに引いたが、他二人はさらに前のめりになった。どこにあるのか、どのくらい遠いのかと質問攻めに合ってから、しげちゃんはやっと答えた。 「山形県にあるみたい。新潟との県境のあたりだよ。」
直哉は具体的な場所が理解できたわけではないが、その遠さを想像していた。 「山形って東北地方の…どれかだよな。」その様子を見て、しげちゃんは日本全体が入り切ったページを開き、山形を指差した。 「そこまで行くの、どのくらいお金かかるんだろう?」リサはワクワクする気持ちとの葛藤の末、結局は現実のほうを見た。 「計算してみようか。まずはルートを考えよう。」しげちゃんはまた別の本を持ってきて、開いたページには路線図が広がっていた。彼の独擅場だった。
「何でもできるんだな!」直哉はやっぱりしげちゃんをすごいと思ったが、何がどうすごいのかはわかっていなかったし、そこまで考えようという発想すらなかった。 しげちゃんの何がすごいかというところまで捉えようとしたのがリサだった。「交通費って計算できるものなの?」解決できないことがあったら、人に頼るしか術がないと考えていたリサは心底驚いた。今までどれほどのことを諦めてきただろう。彼女の人生では、頼る人がなければそれでおしまいだったのだ。
道のり
路線図を左手の指でなぞっていき、先ほど指が通り過ぎた駅名のうちのいくつかをノートに右手で書いた。 続いて、本の別のページを開くとノートのメモと見比べてから、そのメモの隣に数字を足していった。 直哉もリサもしげちゃんが何をしているのかよくはわからなかったけれど、そんな疑問も口にすることなく、その作業をじっと見つめていた。書かれた全ての数字は仕上げに筆算で合計が出された。 「子供は半額だから、往復で 円かな。」しげちゃんがその作業を終えると「たっか…。」「オレの貯金で足りるかな。」と反応はいまひとつ良くなかった。 それなのに、しげちゃんは嬉しそうだった。 「18きっぷで行こうか。」 何それと聞かれ、スラスラと答えた。「青春18きっぷ、JRが1日乗り放題になる切符なんだ。長い距離を安く移動する定番の手段だよ。」 しげちゃんに聞けばわからないことなんてないんじゃないかと、直哉もリサも思った。 「ただ、18きっぷにはいろんなルールがあって、新幹線も乗れないから今言ったルートではダメなんだ。」 そう話している途中でドアがノックされ、「少し出かけてくるからね。」と部屋の外から声がした。
帰宅したしげちゃんのお母さんは部屋にケーキを持ってきてくれた。 「あの、ごめんなさい。まだお腹いっぱいで。でも、せっかく用意してもらったから…」リサが言うと「こちらこそ、つい張り切ってしまってごめんなさいね。無理しないでまた後で食べてもいいし、おうちに持って帰ってもいいのよ。」しげちゃんのお母さんは微笑んだ。 リサは家に持ち帰りたい旨を伝えるとニコニコしながらお礼を言うのだが、なんだか直哉にはニヤリとしたように見えた。
男子2人はケーキを食べながら話を続けた。 しげちゃんはこの後塾に行くらしいので、解散になった。